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いくPAの図書室ふくろうの森 探訪記

訪問&報告者:宝水幸代
訪問日:2023年8月25日
いくPAの図書室ふくろうの森

大阪市生野区。関西でも有名なコリアタウン・鶴橋のほど近くにある「いくのコーライブズパーク(いくPA)」にある、まちライブラリーいくPAの図書室ふくろうの森を訪ねました。

多文化共生のまち、生野区

「いくのコーライブズパーク(いくPA)」は、御幸森小学校跡地を活用した多文化共生まちづくりの拠点です。

生野区は約12〜13万人の人口のうち、5人にひとりが外国人。およそ60カ国の人が住む多国籍・多文化のまちで、全国の都市部では最も高い外国籍住民比率を誇ります。

この地域は古代から朝鮮半島とのつながりが深く、とくに「いくPA」のある地域は在日韓国朝鮮の方々が多く住むところです。

そんな生野区は戦前戦後ととても子どもの多い地域でもあり、8.38平方kmの面積の中に19校もの小学校があり、多いときには1学年に12クラス、午前と午後で分けて授業をする時代もあったそうです。

子どもが増えるごとに分校して19にまで増えたので、一つひとつの校区がとても狭く、200〜300m先へ行くと校区が変わるようなところでした。ところが1989年に合計特殊出生率が、それまで最低だった1966年の1.58人を下回った1.57ショック以降、著しく少子化が進み、大阪市の意向で生野区の西部地域にある12の小学校を徐々に4校まで減らすことが決まりました。その第一号となったのが御幸森小学校です。

大阪市では、再編成後の学校跡地は基本的に売却することになっていますが、生野区の西部地域は住宅が密集しているので、いざというときの防災拠点として残しておく必要があります。かといって空のままおいておくのはロスなので、跡地を活用する事業者を公募した結果、選定されたのが「いくPA」を運営する特定非営利活動法人IKUNO・多文化ふらっとさん(「株式会社RETOWN」と共同運営)です。

ボランティアさんの意向でまちライブラリーに

まちライブラリーの運営は、主にボランティアさんが行っています。

図書室についてはNPOが直轄していて、運営していくにあたって、これまで関わってきてくれたボランティアさんたちがどうしていきたいかを重視したのだそうです。

「図書室の本の整理の仕方や運営についての会議の際、まちライブラリーはどうかと提案しました」

話してくれたボランティアの李さんは、以前からブックフェスタへ参加したり、もりのみやなどのまちライブラリーに訪れたりしていたそうです。同時に市の理事からもまちライブラリーを勧められていたらしく、いろいろなところに、まちライブラリーが広がっていることを感じます。

ところで、この素敵な天井や内装はどなたが?

 

「維新派(移民や漂流をキーワードに活動していた劇団)という劇団にいた方々(岡さん、木村さん)の手によるものです。イメージだけお伝えしたら、作りながらどんどんデザイン化していってくれました」

と、代表理事の森本さん。

イメージは「本の木」だそうですが、ここから本の森が広がっていく感じがしてステキです。

天井から注ぐライトも木漏れ陽みたいで、とても居心地の良い図書室です。

この空間、絶対に入りたいですよね。小学校のときにこんなのがあったら、きっと入り浸るな。内装だけでも「この手があったか」がいっぱいのステキすぎる図書室です。

蔵書はもともとあったものが中心。処分や寄贈本の選別もボランティアさんが行っています。グローバルタウンらしく、外国語の本も多数ありました。

 

子どもたちの居場所になる図書室に

生野区は子どもたちの就学援助率の高い(全国のおよそ2倍)まちであり、貧困家庭も多い地域。日本語を母語としない子どもも多いので、IKUNO・多文化ふらっとでは学習サポートや日本語学習サポートなども行っています。

そうした活動の中で、個人的に「なにそれ面白い!」と思ったのが「学校元気休みの会」。

学校に行きたくない子でも、外には出たい。そんな子どもたちが自由に来てもいいよっていう会だそうです。子どもの頃にそんな会があったら、通っていたかもしれません。(笑)

そんな元気休みの会や、学習サポートに通う子どもたちもこの図書室で本を読んだり、思い思いの時間を過ごしたりしているそうです。静かにしなくてもいいし、ごろごろしながら本を読んでもいい。きっと、ここをとっておきの場所にしている子どもたちもいることでしょう。

 

「カフェコーナーもありますから、親子で来てくつろいでもらったりね。暴れられるのは困るけど」

「すみません」とボランティアさん。元気なお子さんがいらっしゃるのでしょうね。

帰りにコリアタウンに立ち寄ってみました。かつては朝鮮市場と呼ばれ、バケツいっぱいの「コンナムル(豆もやしのナムル)」を売っていたりなど、在日韓国朝鮮人の方々の生活に密着した市場だったそうですが、現在は韓流ブームの影響を受け、若い人がやってくるまちになっています。時代は移り変わっても、多文化共生のまちとして変わらぬ心が息づいているのを感じて帰途につきました。

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